町工場から世界の砥石メーカーへ ~日本レヂボンの誕生~

スキルタッチ、スーパーカット、スーパーレヂテクマ・・・これらの製品を、一度は手にしたことがあるのではないでしょうか?
オフセット砥石のトップメーカー、日本レヂボンの原点は小さな木工所でした。業界に革命を起こす日本レヂボン、その始まりの物語とは?
トラブルだらけの町工場
「ぅおっ、ハンドルゆがんでもうた!」
大阪 西成の片隅で、工場は今日も大忙し。砥石を成形するため100トンもの手動プレス機を握り、力いっぱい圧力をかけてハンドルはグニャリ・・・
そんなトラブル続きだった昭和30年頃の日本レヂボン。不十分な設備に経験の浅い職人と、不揃いなことばかりでした。それもそのはず、日本レヂボンはほんの数年前まで影も形もなかったのです。
木工所から砥石メーカー
創業者・秋田氏は、戦後に富山で木工所を営んでいました。しかし時流を読んで大阪に転出、砥石製造に着手します。
当初は鋸用砥石に目を付けたものの、電動化する業界と合成樹脂の広がりを見て、レジノイド・オフセット砥石への方向転換を決断。
ここで「日本レヂボン製砥(株)」=レジノイドによって砥粒を固めた砥石を作る会社、として一歩を踏み出したのでした。

大阪から全国へ
何事も最初から順風満帆という訳にはいきません。初めて作った製品が、テストの段階で「使いものにならない」と言われ意気消沈した日もありました。
しかし持前の行動力で次々に問題を乗り越えて着実に製品の評価は上がり、さらに大阪から東京にまで販路を拡大、各地に工場を新設して一大企業へと成長を遂げたのでした。
この勢いと熱意がやがてあの大ヒット商品の開発につながっていくのですが、それはまた別のコラムで・・・